06

張り詰めていた糸が切れるように、俺の体は痛みと疲れに襲われ弛緩するようにベッドに沈んだ。

「…っ…はっ…」

結局マキの居場所を猛が告げることもなく、俺をベッドに押し込むと猛は大人しくしていろと残して踵を返してしまった。

「…居場所が掴めないと俺も動けない。逃がしたってことは絶対にないはずなんだ」

無理に動いたせいか先程よりも体が重い。熱でも上がったのか体も熱かった。

「…くそっ…どうして俺はいつも肝心な時に動けないんだっ」

ままならぬ悔しさにぎりりと左拳を握る。
そんな時に限って、意識を反らすかのように病室の外から声が掛かる。

「…拓磨、俺だ。入ってもいいか」

いついかなる時も冷静さを失わない、冴え冴えとした鋭い声。
俺は、今度は迷うことなく大和を室内へと招き入れた。

「俺も聞きたいことがある」

静かに室内へと入ってきた大和に俺は苦戦しながらもベッドの上で上体を起こす。その様子に大和は微かに眉を寄せ、漆黒の双眸を細めた。

「起きていて大丈夫なのか?」

「あぁ…、話をするぐらいなら何とか」

「そうか。…俺に聞きたいことがあるんだろう?」

予想はしていると、俺を気遣ってかベッドのすぐ横に立った大和は余計な話題を振らずに話を切り出してきた。

「なら聞くが、何で猛なんかの話に乗った?嘘を吐いてまで俺を動かしたかったのか?」

「いや…、逆だ。俺が氷堂の話に乗ったのは奴ならお前を止められると思ったからだ。俺達には止められなかったお前を」

淡々と言葉を綴りながらも、行き場のない感情を抑えるように大和は言う。

「俺はお前に協力していながら意図的にマキの情報を伝えなかった。何故だか分かるか?」

「大和…」

どうしてお前がそんな辛そうな表情をする?

「復讐を終えた先のお前の未来が見えなかったからだ。俺はこの一年の間にお前が別の生き方を選ぶのをただ待っていた」

普段口数の少ない癖にいきなり何を言い出すんだ。

「待ってくれ大和」

それでも大和の言葉は止まらない。

「お前の顔を見れば分かる。…氷堂の元ではちゃんと泣けたんだな拓磨」

「え…」

「それならもう大丈夫か。氷堂には少し感謝しなきゃならねぇ」

ふっと冴え冴えとしていた眼差しが溶けるように、珍しく大和が口許を緩めて笑った。

「…ぁ…」

俺はこれまでいったい幾つの声を無視してきたのだろう。その思いを、向けられた優しさを。
大和は何も言わず、ただずっと、俺の側にいてくれたというのに。

「大和、俺は…」

「謝るな。何もしてやれなかった時点で俺は無力だ。お前が気にする必要はない」

それよりと、話を切った大和は浮かべていた笑みさえ消して真剣な表情で言葉を繋いだ。

「マキの身柄は今トワさんが押さえてる」

「トワが?」

「あぁ。トワさんはマキを表舞台で裁く事を望んでる。お前を俺に託して姿を消した後どうやら警察に入ったらしい」

どうやってと聞くのは野暮だ。目的の為ならトワはどんな手段を使ったとしても不思議はない。
現に俺を止める為に、俺の利き腕を軽く折ったぐらいの人だ。

「トワさんはもうお前をマキと会わせたくないそうだ」

「そんな勝手な!俺はまだ…!」

「納得しないだろうとは俺が言っておいた。だから後一日、警察に突き出すのは待ってもらってる」

身を乗り出した俺に大和は冷静に告げる。
そしてどこまでも俺という人間を理解している大和に俺は感謝してもしきれないのかも知れない。

その思いが表情に出てしまったのか大和は微かに苦笑を浮かべ、熱の感じられる強い声音で言った。

「俺がしてやれるのはこれ位だ。ケリはお前が着けろ拓磨」

「あぁ」

向けられた視線に俺はしっかりと頷き返す。

「トワさんのいる場所には氷堂が連れて行ってくれるはずだ。それまでゆっくり休め」

大和は最初から最後まで俺の様子を気にかけてはいたが、やはり余計な事は聞いてこなかった。
俺が何故猛と共にいるのかなど、聞かれても答えられないことだったが、不思議なことに大和になら言えるような気がした。

背を向けた大和に俺は言葉を投げる。

「…ありがとな、大和」

それに大和はちらりと振り返り、ふっと微かに口角を上げて笑うと、構わねぇと右手をひと振りさせて病室を出て行った。








静かに病室を出た大和は浮かべた笑みを一瞬で消し去り、扉の脇に控えていた護衛に冷ややかな目を向ける。
そして、何も言葉を交わさぬままリノリウムの廊下を歩き出す。

拓磨の入れられた個室、この病院そのものに氷堂の息が掛かっているのか定かではないが、その個室以外他の病室に人は入っていないのかやたらと周囲は静かであった。
また、設置されている病室の数も他の階とは違い少なく、その分病室の中は広かった。

大和は冴え冴えとした表情を崩さず、拓磨の病室から程近い場所で足を止めるとその先で待っていた男と視線を合わせる。

射抜く様な鋭い漆黒の双眸に怯える素振りも無く、ジッと見返して大和は口を開いた。

「アンタには感謝している、氷堂さん」

「…どういう心境の変化だ」

大和が猛をさん付けで呼んだのもそうだが、猛には大和に感謝される覚えがない。
猛は硬質な表情を保ったまま大和を見下ろし、猛の傍らに静かに控えていた日向が面白そうに二人のやりとりを見守る。

「拓磨にはもう死の影は見あたらない。拓磨に生きることを選ばせたのはアンタだろう。だから礼を言ったまで」

拓磨の友人とはいえ、こうも真っ向から猛と対峙できる程の度胸を持った大和に傍観者である日向は感心していた。

「お前にとって拓磨は何だ」

唐突に投げ掛けられた言葉にも大和は詰まることなくさらりと、臆面もなく返す。

「俺は親友だと思っている」

「そうか」

話は終わりだというように視線を外し、大和が歩いてきた廊下を日向を連れて歩き出した猛の背に大和はひたりと一段と凍てついた声を投げた。

「氷堂さん。…この先何があろうともアンタだけは拓磨を裏切るなよ」

それだけ告げて、大和は返事を聞かずにエレベーターに乗り込む。ゆっくりと閉じていく扉の向こう側で猛が歩みを進めるのを最後にその背は見えなくなった。



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